History

クラブの歴史

クラブの歴史

For the welfare and happiness of all mankind

世の人々の楽しみと幸福の為に

石橋正二郎
(1889-1976)

ゴルフプレーする
正二郎

ブリヂストンカンツリー倶楽部は、ブリヂストン創業者 石橋正二郎によって創設されました。
正二郎は、その生涯を貫く深淵として、「世の人々の楽しみと幸福の為に」という言葉を残しています。
この言葉は久留米市の石橋文化センター正面に掲げられています。

ゆかりの地/周辺マップ
(2017年の地図に当時の施設の市を示したもの)

開場前史

正二郎は、戦後ほどなく、後のブリヂストンカンツリー倶楽部の着想を得ました。きっかけとなったのは、ブリヂストン従業員がレクリエーション用につくった「筑後川リバーサイドゴルフ場」、「自転車工場ゴルフ場」でした。
「社会世相の荒廃によって、一所懸命働いてくれる従業員には楽しみがない。しかも放置すれば不健全な娯楽がはびこるおそれもある。この不自由な時代に生産復興に努力している従業員が、自分手でゴルフ場らしいものを造って楽しんでいる。早速ゴルフ場をつくろう」。正二郎の指示のもと、ブリヂストンカンツリー俱楽部の建設計画が始まりました。

ブリヂストンカンツリー俱楽部開場

正二郎は、朝日山の麓にあった自転車工場を移転し、その跡地にゴルフ場を造ることを構想。設計監理を日本アマチュア選手権3連覇の三好徳行に依頼しました。「地形上の特色を活かし、変化に富むコースとして設計するには理想的なロケーションでありました」(三好徳行)
三好は、充実した経験とノウハウを設計に注ぎ込み、地形の凹凸、池やバンカーの配置、草木の一本一本に至るまで細かく神経を使いました。
1957年9月23日、ブリヂストンカンツリー俱楽部が開場。全9ホールは本格的コースとして賞賛されました。当初、ブリヂストン従業員の福利厚生のために計画されたゴルフ場は、地域の人々に広く公開され、メンバーシップの基礎が築かれていきました。

18ホールへと拡張

周囲から強い要望もあり、18ホールへの拡張が計画されました。現在のインの過半をこの時に追加。さらに格調高い倶楽部を目指して、全体のレイアウトを改め、クラブハウスを現在の場所に新築しました。
三好は、眺望がよく、変化もあり、面白くプレーできるコースに仕立てるよう、策を練りました。コースの造成にあたっては、まず石膏で模型を作るなど、緻密な検討を行っています。
1965年9月23日、全18ホールのブリヂストンカンツリー倶楽部はオープン。難易度が高いのにビギナーからベテランまで楽しめる、現在のコースが完成しました。

ブリヂストンカンツリー俱楽部の歴史

1920年代

正二郎が福岡県小郡市にあった福岡県で最初のゴルフ場「大保ゴルフ場」の発起メンバーとなる。その後、久留米市正源寺山に3ホールの私設練習場コース場を設ける

1935年代

ブリヂストンタイヤ久留米工場で試作開発されたゴルフボール「スーパー」販売開始

1938年

第二次世界大戦の影響で、ゴルフボールの製造が中断

1940年代

戦後、佐賀県鳥栖市の朝日山の麓にあったブリヂストンの自転車工場周辺の余地を利用し、工場の人たちの手でゴルフ場が造られる

1950年

ブリヂストン工場と筑後川を挟んだ対岸の河川敷に、ゴルフボールの試験場として6ホールのゴルフ場がつくられる(筑後川リバーサイドゴルフ場)

1951年

ゴルフボールの本格製造を再開

1956年

ブリヂストンカンツリー倶楽部着工

1957年

9月23日、9ホールで開場。アマチュアゴルフ育ての親として知られる朝香元宮殿下が開場式で始球

1965年

18ホールへと拡張

1967年

第1回西日本サーキット・オープンゴルフ選手権開催

1970年

ブリヂストンゴルフトーナメント開催

1971年

第1回九州アマチュア選手権開催

1973年

関西プロゴルフ選手権開催

1976年

9月11日石橋正二郎 死去(享年87歳)

1978年

第8回九州女子選手権開催

1980年

第10回九州シニア選手権開催

1985年

高松宮殿下、ご来場

2017年

9月23日、開場60周年。新クラブハウス完成

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